最近、ドラマや映画で素敵な母親役をしている広末涼子さん。
若い頃から今日まで聡明なイメージを崩すことなく保っていてとても素敵ですよね。
この記事では、そんな広末さんの生い立ちやこれまでの活躍への軌跡に迫ってみます。
広末涼子さんの生い立ち
広末涼子さんは、1980年に高知県高知市に生まれました。
生まれた時は、仮死状態で医者が叩いて産声を誘発したそうです。
仮死状態だったのは、病気ではなく1ヶ月早くに生まれてたからだと言われています。
その後は元気で健やかに成長し、ローラースケートが得意な活発な女の子でした。
中学生の頃から周りの友達に「将来の夢は女優」と言っていたそうですが、同級生の男子からは「吉本に入れば?」と言われるほど、快活で明るい女の子だったようです。
小学校6年生の時には、NHKのテレビ授業に「インタビューを受ける女の子」として出演しました。
その際に他県のテレビを見た人たちから「あの女の子は誰ですか?」との質問が多数届いたそうで、可愛さが目立っていたことがうかがえます。
デビューのきっかけ
広末涼子さんのデビューのきっかけは、中学3年生の時に雑誌で見た、ニキビ治療薬クレアラシルのイメージキャラクターを募集するオーディションに応募してグランプリを受賞したことでした。
自ら「出てみたい!」と思い、母親に撮って貰った写真を送ったそうです。
すぐにクレアラシルのCMでデビューを飾りました。
それまでに見たことが無いような透明感があり、爽やかな印象だったことを覚えています。
当時は中学生ですが、可愛さとショートヘアーの中性的なイメージがお茶の間の話題になりました。
当初は実家から東京へ通いお仕事をしていましたが、高校生になる際に、東京の高校を受験して合格を機に横浜の親戚の家に引っ越し。
16歳ですから地元を離れて寂しかったでしょうね。まだまだ家族と一緒にいたい時期ですから・・。
それでも寮や一人暮らしよりは寂しくなかったと、大人になってから語っていました。
広末涼子さんはクレアラシルのCMで有名になりましたが、その後もNTTドコモのポケベルのCMに出るなど毎日テレビで見かけるようになりました。
当時、高校生の間でポケベルが流行りましたが広末さんに憧れた女子高生がたくさんいたのではないでしょうか。
CMだけに留まらず、ドラマや映画にも出演していました。
中でもドラマは「月9」と呼ばれていた月曜日、午後9時からの視聴率の高いドラマの脇役だったので瞬く間に有名になったのです。
また、主役の女優さんより注目されたこともあり、人気ランキングでは常に上位に名前がありました。
仕事をしながら勉学も
そんな広末さんは、多忙にも関わらず高校での勉学も頑張り、1999年に早稲田大学教育学部に合格しました。
しかし、3ヶ月一度も間登校せず初めての登校日にはマスコミが100人以上集まり、理不尽にも世間のバッシングを受け週刊紙を賑わせることになったのです。
その結果、せっかく仕事と学業を両立させたのに卒業せず2年で退学。
この頃の思い出として広末涼子さんは「友達の励ましのおかげで様々な逆境を乗り越えられた」と言っています。
故郷で仲が良かった友人に精神面で助けられて、現在があるのだとか。
友達の助言や励ましは、誰でも嬉しいことですよね。
きっと女優業と学業の両立、希望の大学に合格したのに行けなかった理由がありその都度、友達に打ち明けていたのでしょう。
仕事のイメージを崩さないストイックさ
広末さんは、SNSを利用していない事でも有名です。
理由は「女優としてのイメージを大切にしたいから」とのこと。
日常の事をSNSで発信すると、私たちの知らない部分が見えてしまい、さまざまな役を演じる上で好ましくないと考えているのですね。
最近はSNSの利用が世間的に当たり前のようになっていますが、今なお利用しない人もたくさんいて、リアルの生活や出会いを重視する人のように思います。
広末さんも、もしかしたらそうなのかも知れませんね。
今後、更に素敵な大人の女性を演じてくれるであろう広末涼子さんから、ますます目が離せません。